涙が止まらない日が、続いていますか。
もしそうなら、先にひとつだけお伝えさせてください。それは、心が壊れてしまったサインではありません。あなたの心が、失ったものの大きさに、正直に反応している証拠です。
涙は「心の働き」そのものです
大切なものを失ったとき、心に起きる反応を「グリーフ(悲嘆)」と呼びます。涙は、その中でもいちばん自然な形のひとつです。
流産は、周りからは見えにくい喪失です。お腹の中で始まっていた命と、思い描いていたこれから——名前の候補、部屋の景色、家族の未来——を、いちどに失っています。
失ったものが大きいほど、心は大きく反応します。涙の量は、心の弱さではなく、そこにあった愛情の量に近いものだと、私は思っています。
突然くる涙にも、理由があります
落ち着いていたはずなのに、ふとした瞬間に涙があふれる。そういうことも起きます。
街中で、抱っこひもの中の小さな赤ちゃんとすれ違ったとき。上の子の保育園の送り迎えで、赤ちゃん連れの人と一緒になったとき。ファミレスで、お子様メニューをうれしそうに選ぶ子どもを見て、「あの子も、こんなふうに選んだだろうか」と想像してしまったとき。妊娠のお知らせを、SNSで見てしまったとき。
私自身、赤ちゃんを亡くしたあとしばらく、赤ちゃん——特に3ヶ月くらいまでの月齢が若い子——を抱いた人を、直視できませんでした。
悲しみは、一直線に薄れていくものではなく、波のように寄せては返します。急に涙が出るのは「後戻り」ではなく、波が寄せただけ。おかしなことではありません。
逆に、泣けなくても大丈夫です
涙が出ない自分を、冷たいのではないかと責めている方もいるかもしれません。
泣けないのも、よくある反応です。心があまりに大きな出来事に出会うと、感情のほうが一時的に麻痺したようになって、涙があとから、ずっとあとから来ることがあります。
泣けるかどうかと、赤ちゃんへの想いの深さは、別のものです。
正直に打ち明けると、助産師として、泣いていない方を前にしたとき、私はかける言葉を持てませんでした。何を言っても想像でしかない、と思ったからです。それは、その方の悲しみ方が間違っていたからではなく、悲しみの形が、それほどまでに一人ひとり違うものだからだと、今は思っています。
のちに自分が当事者になったとき、いちばん救われたのも、「なんて言葉をかけたらいいか分からない」「自分の身に起きたらと考えると……」と正直に言ってくれた人でした。私の悲しみを、自分のことのように想像してくれたからこそ、出てきた言葉だったのだと思います。
涙との付き合い方——いくつかの選択肢
こうしなければいけない、というものではありません。使えそうなものがあれば、という選択肢です。
泣ける場所と時間を、自分に許しておく。 車の中、お風呂、家族が寝たあとの台所。「ここでは泣いていい」という場所がひとつあると、外で張りつめている時間が少し楽になります
逆に、家では隠さないと決めるのも、ひとつの道です。 私は家の中では、夫の前でも子どもの前でも、涙を我慢しませんでした。「かあちゃん、また悲しいの?」と言われながら、ぼろぼろと、時には声をあげて泣いていました。ありのままの母の姿を見せればいい、と決めていました。この子がどれほど大切だったか——それは、私が悲しむ姿でしか伝えられない、そう思っていたからです。
「泣いていると上の子が心配するよ」「お空の子が悲しむよ」と言う人もいます。でも、そうじゃないと私は思う。悲しいときにちゃんと悲しむ姿を見せることも、子どもへの誠実さのひとつではないでしょうか
涙を我慢しなければいけない場所には、行かなくていい。 SNSを閉じる、お祝いの席や人の集まりを欠席する、ベビー用品の売り場を避ける。私も、我慢が要る集まりには行きませんでした。逃げではなく、傷の手当てです
誰かの前で泣きたくなったら、窓口という選択肢もあります。 家族に見せたくない涙は、相談窓口で流すこともできます。話がまとまっていなくても、泣くだけでも、かまいません
涙に、締め切りはありません
「いつまで泣いているの」という言葉に、期限を決められる必要はありません。数週間で涙が減る方も、数ヶ月続く方も、何年か経ってふと泣く方もいます。どれも正常の範囲です。
私自身は、半年ほど経ったころに、かなり大きな波が来ました。いまは、専門家とお薬の力も借りながら過ごしています。あとから来る波が、涙よりずっと重いこともあります。そんなときは、ひとりでしのごうとせず、相談窓口や病院を頼ってください。それは弱さではなく、手当てです。
止まらない涙は、いつか、あなたのペースで変わっていきます。今日は、止めようとしなくて大丈夫です。
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